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まず、中山成彬(なりあき)文科相の就任直後の動向を、いくつかの新聞記事などから確認しておきます。
■文科相に中山成彬氏―― 第2次小泉改造内閣
第2次小泉改造内閣が9月27日発足し、文部科学大臣には中山成彬衆院議員(自民)が就任した。28日の新旧文科相の引き継ぎ後、幹部職員を前に経済、厚生労働分野などの行政経験を踏まえ「もっと教育にも競争原理を入れるべき。時代の変化が激しく、国際競争力が必要な時代。切磋琢磨(せっさたくま)してやっていくことが大事」などとあいさつした(日本教育新聞社のHP)
■教育現場に競争原理を=中山文部科学相 時事通信(10・04)より
中山成彬文部科学相は4日、大臣就任のあいさつのため訪れた地元の宮崎県庁で記者会見し「学校の中では競争してはいけないと言われ、(社会に)出ると競争、競争では、ギャップについて行けない」と語り、教育現場への競争原理導入が必要だと強調した。具体的には「学力テストの結果を公表するようにして、各校で競い合う」などの方策が考えられるとしている。また、「先生にも自分の資質や技術を問い直し、緊張感を持ってもらうのはいいことだ」として、教員免許の更新制度導入を「前向きに考えて行きたい」と述べた。
■「子どもにも競争原理を」 文科相、学力調査見直しも[10月5日] 共同通信
中山成彬文部科学相は5日の会見で「もっと子どもたちが切磋琢磨(せっさたくま)する風潮を高めたい」と、子ども同士にも競争原理が必要との認識を示した。その上で、文科省が実施している教育課程実施状況調査(学力テスト)について「全体の中で、自分がどういう位置にあるのかを自覚しながら頑張る精神を養うよう検討していったらいい」と、見直しが必要との考えを明らかにした。文科相は「前回、政務次官を拝命してから13年がたつが、日本人が外国人に負けていることを痛感した。頑張らないと日本は大変なことになる。これまでの教育は競争しない方がいいという風潮があった」と強調。
■文科相「教育現場に競争原理の導入を」(10月5日 日経新聞)
中山成彬文部科学相は5日、閣議後の記者会見で「学校でも子どもたちが競争意識を高める風潮を広げていく必要があるのではないか」「もっと子どもたちが切磋琢磨(せっさたくま)する風潮を高めたい」と述べ、教育現場に競争原理の導入が必要だと強調した。その具体策の1つとして小中高生1人ひとりに対し「学力テスト」の結果を公表する意向を表明した。 学力テストの結果の公表方法については「子どもが、自分が全体の中でどのような位置にいるか把握でき、頑張る精神を養えるようにしたい」と述べた。ただ「学校間の格差など(公表が)学校に与える影響や負担などを総合的に検討する必要がある」とも指摘、具体的な方法は今後検討するとした。
上記の資料は、中山成彬文科相に関する幾つかの新聞記事からの抜粋ですが、いずれの記事を読んでも、中山成彬文科相がもっと教育に競争原理を導入していく
という教育政策を強調していることがわかると思います。こうした教育論は、文部科学大臣への就任を契機に、中山成彬氏がはじめて公表したものではなく、中山氏は以前から、「もっと教育に競争原理を導入すべき」という教育観を明らかにしています。例えば、中山文科相は、2002年に「国家百年の大計として教育を考える」という論考を書いていますが(清和政策研究会著『人づくりは国の根幹です!教育基本法改正へ5つの提言』中経出版)、この中で中山氏は教育にはもっと地域性と多様性があっても良いし、もっと競争原理を導入すべきではないか
と強調しています。同氏は今、学校生活では競争することを罪悪視する風潮
があるが、社会に出ると激しい競争にさらされる
とし、子どもたちがその格差に戸惑い、新卒者に出勤拒否や離職者が急増している
とした上で、小さい頃から自分を磨くことのすばらしさ、秀でることへの憧憬の念を持つように教えることが必要
と論じています。つまり、教育をもっと多様化し、差別選別教育をもっとすすめ、子ども時代に「激しい競争」に耐えられる準備をさせ、エリートになることへの「憧憬の念」を持つようにすべき、という教育論です。2年前に書き、明らかにしていた教育論を、文部科学大臣就任後に繰り返し強調し実行に移しはじめている、と指摘することができます。
こうした中山文科相の「競争原理」強化・導入論には幾つかの特徴があります。
第1に、こうした中山文科相の「競争原理」強化・導入論が、文字どおり大競争時代の「教育改革」論にほかならない、という点です。つまり、時代の変化が激しく、国際競争力が必要な時代
なので、もっと教育にも競争原理を入れるべき
という主張です。同時に、これまでの文部科学大臣よりも、あからさまなのは、中山文科相が世界銀行や大蔵省職員時代の経験、あるいは経済、厚生労働分野などの行政経験
を、〈教育の条理〉や〈教育的配慮〉等を完全に無視し、そのまま〈教育の世界〉に持ちこもうとしているからです。
第2に、「過度に競争的な教育制度」と国際的にきびしく指摘されている日本の教育制度の中で、学校現場の先生方が、そうした傾向を緩和しながら子ども達に向きあってきた努力や状況を、中山文科相がこれまでの教育は競争しない方がいいという風潮があった
と批判した上で、そうした風潮を根本的に変える必要がある、という「教育改革」論を強調し、実際に「もっと教育に競争原理を導入」していこうとしていることです。つまり、中山文科相は、今後、教育行政の力などを使いながら、“これからの学校生活では、競争しないことを罪悪視する風潮にしていく”ということなのです。
第3に、中山文科相が学校の中では競争してはいけないと言われ、(社会に)出ると競争、競争では、ギャップについて行けない
という論理をとっていることです(学校と社会の競争原理のギャップ論)。つまり、中山文科相が子どもたちがその格差に戸惑い、新卒者に出勤拒否や離職者が急増している
と強引に論じている点です。若者の中に離職者が多い問題についていえば、文部科学省として、これまでは「キャリア教育」(勤労観の教育)を重視していく、としていたわけですが、中山文科相の場合は、小さいときに競争原理の中で鍛錬されていなかったため、新卒者に出勤拒否や離職者が急増している
という理屈をたて、それを前提にした上で「(だから)もっと教育に競争原理を導入すべき
という文教政策に切りかえようとしているのです。これは、今の教育の有り様を、大競争時代への適応を重視する適応主義的な教育システムに変えていき、競争主義的な文教政策を現在と未来に生きる子ども達に押しつける「教育改革」にほかなりません。
第4に、実際に、中山文科相が学力テストの結果を公表するようにして、各校で競い合う
などの方策を具体化しようとしていることです。こうした方策を具体化することによって、子ども達が「競争意識を高める」ための施策を検討しはじめています。こうした文教政策が具体化されるならば、それは、日本の教育の在り様を大きく変え、子どもに痛みや負担をもたらし、子ども達へ大きな影響を与えるものになります。ただし、今、検討されている「学力テストの結果公表」論は、中山文科相にとって競争原理の導入の“手はじめ”に過ぎないという点もおさえておかなければなりません。
第5に、中山文科相が「教育に競争原理を導入」することによって、教育制度をエリート教育中心のシステムにかえていこうとしていることです。「激しい競争」に耐え、「激しい競争」を勝ち抜き、エリート(勝ち組)になることへの「憧憬の念」を持つことが日常化するような学校制度、教育制度にかえようとしていることです。言い換えれば、“グローバル時代の立身出世主義”を教育の世界に持ち込んでいきたい、ということだといえます。
以上、何点か指摘しましたが、これらの中山文科相流の「教育改革」は、子どもの声に耳をかたむけ、父母、教師の意向を聞いた上でのものでは全くなく、逆に、子ども、父母、教師の意向を完全に無視し、まさに文部科学大臣が「個人」的に判断し決定したこと、つまり文部科学大臣の特定の「教育観」を独断的(ファッショ的)に子どもと現場教師に押しつけるものであり、教育基本法「改正」を先取りする「教育改革」にほかなりません。
また、こうした中山文科相の「教育改革」論は、国連子どもの権利委員会の最終所見に完全に背をむけたものであり、厳しく批判しなければなりません。権利委員会は、最終所見で教育制度の過度に競争的な性格が子どもの肉体的および精神的な健康に否定的な影響を及ぼし、かつ、子どもが最大限可能なまでに発達することを妨げていること
を懸念事項として厳しく指摘しています。
中山文科相が考えていることは、現在でも「過度に競争的な性格」の教育制度に「もっと競争原理を導入すべき」という教育破壊論であり、子どもの権利に完全に逆行する暴論です。中山文科相の姿勢は、仮に教育基本法が改定され、教育振興基本計画が、改定後の基本法で裏づけられるならば、私たちの想像を超えた凄まじい「競争原理」が教育制度に持ち込まれかねないことを意味しています。そうした点から言っても、子どもを押し潰す「教育基本法改正」を断じて許してはならないのです。
中山文科相の「教育改革」論は、今、加速的に進行している「新自由主義的教育改革」に、さらにアクセルをかけるものです。進行中の「教育改革」の中で痛みを感じ、苦しむ側にこそ、真の人間らしさがあることに確信をもちつつ、子ども達の声、親・教師・市民の声を大切にし、それらを繋ぎあわせ、共同していくことが強く求められています。
中山成彬(なりあき)文科相は、後に紹介するように、個人のうえに民族や国家の利益をおく国家主義的な考え方の持ち主ですが、中山氏の教育観の基底には、時代の変化が激しく、国際競争力が必要な時代
なのでもっと教育にも競争原理を入れるべき
という考えが位置づいています。つまり、同氏の場合は、経済のグローバル化の時代に勝つために、国が“強い国家”として存立しつづけること、そして“たくましい日本人づくり”をすすめていくことをたいへん重視しているのです。ですから、中山氏の考えは、「新国家主義」と指摘した方が適切だと思われます。そうした点を踏まえつつ、中山成彬文科相の教育観の中にある新国家主義的な要素や側面について、いくつか取り上げておきます。
①「愛国心という言葉でいい」:まず、「愛国心」記述が入った教育基本法に変える方向が焦点の一つになっていますので、この点についての中山成彬文科相の考え方をみておきます。中山文科相は「9月28日、報道各社のインタビューで、教育基本法改正案にどう盛り込むかが与党間で焦点となっている『愛国心』に関する記述について『愛国心という言葉でいいと個人的には思う
』」としています(共同通信)。自らが属する国にどのような感情をもつかについては、自主的な判断が最大限尊重されなければならず、国家が法律で「愛国心をもつこと」を規定するのは、憲法理念にも民主主義にも反しています。しかし、教育基本法改正問題で中山文科相は国を愛する心と愛国心は同じだ。そういう理解になればいいし、その方向で進んでもらいたい
と述べ(共同通信)、教育基本法に、愛国心と同義の「国を愛する心」を入れることを示唆しているのです。
②“良き日本人づくり”を教育目的として掲げるべき:中山文科相は、2年前の論考「国家百年の大計として教育を考える」の中でこれからの子ども達に……目指すべき日本人像をしっかり身につけさせる
と強く主張しており、同氏が中心になってまとめた「自民党森派の教育基本法改正提言」の中でも、新しい基本法では日本の風土と文化の上に立派な日本人を育てあげることを目的とすべき
としています。そして現行の教育基本法には、『民族の文化・伝統の継承』という視点が欠落している
としながら、新しい教育基本法には、日本社会に脈々と流れる命の尊さを謳おう
と提案しており、個人の命を超えた民族の命という日本古来の伝統文化を学ぶべきだとする見地を強く押し出しています(『人づくりは国の根幹です!』78頁)。中山成彬氏は、今の日本人は、日本人としての自信と矜持(きょうじ)、民族の誇りを失った国民になってしまっています
と嘆きつつ、「民族としての同一性や団結心」を育む「伝統や文化」の継承をたいへん重視しています(中山前掲論文)。このように中山文科相は、大競争時代のナショナリズム(ネオ・ナショナリズム)をたいへん強調している人物なのです。
③「日本の過去、栄光の部分を語るべき」:中山成彬氏は戦後50年の教育の環境を検証
する際に、大東亜戦争は、日本にとって有史以来の敗戦であり、大きな衝撃
という理解を示しながら、戦後流行したマルクス主義史観や東京裁判の影響、GHQの占領政策もあって、日本では過去を語ること、特にその栄光の部分を語ることは、ともすれば『保守反動』として退けられてきました
と自虐史観を批判しています(中山前掲論文)。つまり、中山成彬氏の歴史教育論は、戦勝しつづけた日本の過去を語ること、特にその栄光の部分を語る
ことが必要というものなのです(中山前掲論文)。中山成彬氏は、自民党内につくられた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の「座長」(2)という役職に今年1月についており、この会ができた1997年の時点では、論文集『歴史教科書への疑問』(展転社)に論考「歴史教科書改定は国家百年の計」を寄稿しています。そして、中山成彬氏は、その中で次のように書いています。
「どこの国の教科書をみても、祖国をつくり、祖国を護った英雄達の話はいっぱい出ているが、祖先が悪いことばかりしてきたということを教えている国はない。(中略)日本民族としての自覚と素晴らしい祖先を持ったという誇り、そして世界のために貢献したいという高い志を持った青少年を育てなければならないが、そのためには、自虐史観に貫かれた今の歴史教科書を一日も早く改定することが国家百年の計として必要であると考える」(『歴史教科書への疑問』489―490頁)
中山成彬氏ら「議員の会」が歴史教科書問題で特に問題にしているのは、「従軍慰安婦」の記述であり、中山氏も、いわゆる『従軍慰安婦』が、今年(=1997年)から中学校の教科書に載り、今全国の中学生に教えられていると思うと、いたたまれない気持ちになる
と書いています(『歴史教科書への疑問』488頁、括弧内は引用者)。そして、日本の歴史教科書は祖先が悪いことばかりしてきたということを教えている
教科書であり、そうした自虐史観に貫かれた今の歴史教科書を一日も早く改定すること
が必要と中山氏は考えているわけです。中山成彬氏が今年1月に「座長」に就任した「議員の会」は、1997年11月に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」という名称で、自民党所属の国会議員107名が参加する議員連盟として発足した会ですが、当初より、侵略戦争と植民地支配を賛美する「新しい歴史教科書をつくる会」と綿密に連携しながら、「つくる会」運動をバックアップしてきた団体です(教科書ネットの俵義文氏のホームページ)。新しく文部科学大臣に就任した中山成彬氏は、「若手議員の会」発足時から同会の「副代表」になっていた人物です(現在は「座長」)。前文部科学大臣の河村建夫氏の場合は、同会発足時、「オブザーバー(勉強会参加者)」にすぎませんでしたので、今度の中山成彬文部科学大臣の方が、格段に危険度の高い人物だといえるのです。
④「教育勅語」は「日本人の精神的な拠り所」:中山成彬氏は、教育基本法の〈制定過程〉を著しく歪曲していますが、同氏は、原案にあったはずの「日本の伝統・文化」と「宗教教育」の尊重とがGHQに修正され、日本人の精神的な拠り所として残るはずであった教育勅語
もGHQの命令によって廃止されて
しまい、戦前と戦後との大きな断層
ができてしまったと嘆いています(中山「国家百年の大計として教育を考える」)。個々の問題は詳論できませんが、日本人の主体性と責任において制定された
教育基本法を、中山氏ら自民党森派が他から強制的に与えられたもの
と描きだしている点は、同法の制定過程史の歪曲です(『人づくりは国の根幹です!』68頁)。重大な点は、中山成彬氏が教育勅語について日本人の精神的な拠り所
とし、それが戦後も残るはずであった
としている事です。
中山成彬氏(清和政策研究会政策委員長)は、2002年4月21日に清和政策研究会(=自民党森派)が主催した「教育問題全国タウンミーティングin大阪」において、「教育基本法の改正について」と題する「問題提起」をおこなっています。そして、その中で中山成彬氏は私は、政策委員長を拝命しており
ます、と自己紹介した上で、『教育基本法を改正したい』というのが皆様方への提言です。5つの問題があります
と語っていますので、この発言から、中山成彬氏が清和政策研究会著『人づくりは国の根幹です!教育基本法改正へ5つの提言』の作成・編集に深く関与していた中心人物であることが明かになります。また、『人づくりは国の根幹です!』には、「巻末資料」のトップに「教育勅語とその口語訳」が入っていますが、この点について、中山成彬氏は、次のように語っていますので紹介しておきます。
「『教育勅語』は、昭和22年に『教育基本法』が制定されたときも、引き続き存続すると考えられてきました。精神的なもの、人間の内面にかかわるものについては、『教育勅語』にゆだねるとなっていたのですが、GHQの命令によって昭和23年に廃止されてしまったのです。教育勅語を読み返してみましたが、『古めかしい』『天皇の』ということでこれまで遠ざけてきましたが、本当にすばらしいことが書かれています。今度、出版される本に口語訳も載せていますので、ぜひ読んでいただきたい。このことを子どもたちがわかればすばらしい社会ができるのではないかと思います」(「ヤフー」サイト:「清和政策研究会主催:教育問題全国タウンミーティングin大阪」の記録より)
中山成彬氏が描く〈教育基本法と教育勅語との関係〉論は、「世界平和教授アカデミー」に関与している杉原誠四郎武蔵野大学教授(『教育基本法の成立―「人格の完成」をめぐって』文化書房博文社などの著者)や「新しい歴史教科書をつくる会」副会長の高橋史朗明星大学教授らごく一部の「教育学者」が論じている見地であり、教育基本法の制定過程史を歪める謬論(びゅうろん)です。教育基本法が制定された後の一定期間(約一年間)、「教育勅語」問題が未清算の時期があったことは確かですが、1948年の衆参両院において、日本人の主体性と責任において「教育勅語」問題は完全に清算されたのです。実際、当時の文部省調査普及局が編集した『日本における教育改革の進展(文部時報、臨時特集号)』(1951年)には、次にように書かれています(同書7頁)。
「教育基本法は、・・全く新しい形式と手続きにおいて、教育勅語に代って日本教育の根源を明示する地位を持つに至った。そして、この事実を国家的に確認し、疑いの余地を残させないために、さらに1948年6月、衆参両議院において『教育勅語等の効力排除(失効確認)に関する決議』が決定された。政府は、この決議に基き、学校等に死蔵されていた教育勅語の返還措置をとり、この教育勅語に関する問題は、教育上、こうして完全に終結するに至ったのである」
結局、中山成彬氏ら自民党森派の人々には、教育勅語等の効力排除(失効確認)決議
がたいへん気にくわないのであり、中山氏ら自民党森派の人々は、この決議によって今日の教育荒廃がもたらされたと考えるのです。ですから、中山成彬氏が中心になってまとめた「自民党森派の教育基本法改正提言」には、以下のように書かれています。
「教育勅語が謳いあげている『目指すべき教育のあり方』が、けっして間違ったものでなかったことは明白であろう。むしろ、こうした指針がなくなったことが現在の教育の荒廃を生む一因となったと理解いただけるのではないだろうか。だからこそ、私たちは、『かつての教育勅語に相当する教育理念の制定を目指すべきではないか』と提案する」(『人づくりは国の根幹です!』78頁)。
重大な点は、教育基本法「改正」法案の準備作業を開始した文部科学省のトップ・文部科学大臣に、教育勅語を礼賛する中山成彬氏(自民党森派=清和政策研究会の政策委員長)が就任しているということなのです。
⑤道徳的な「責任や義務」を教え込む教育:中山文科相は、小泉首相がかつて会長を務めていた政策集団(自民党森派)の政策委員長であり、小泉構造改革を断固推進するという政治姿勢を鮮明にしている人物です。例えば、中山氏は、清和政策研究会のホームページの「ごあいさつ」で次のように書いています。
「この度、政策集団清和政策研究会の政策委員長を命ぜられました、衆議院議員の中山成彬です。この会の前会長でもある小泉首相の支持率が大変高いのは私共にとっても大変うれしいことです。皆様方のご理解、ご支援に心から御礼を申し上げます。さて、世上派閥の弊害がいわれますが、福田赴夫先生が創られた清和会を源流とする清和政策研究会は政策を中心にまとまってきた伝統的政策集団であります。小泉内閣のかかげる改革断行のために政治、経済、社会のあらゆる領域でタブーなき議論を争わせ、具体的な政策提言を行っていきたいと考えています(以下、略)」
このように書いている中山成彬氏は、小泉構造改革が痛みを伴うものであることをよく知っており、それだけに、痛みを声にし、異議申し立てする人々を押さえ込むための一連の教育観を持っている人物でもあり、中山文科相の教育観が、新国家主義的、ネオナショナリズム的な性格を強くもっているのも、そのためです。中山成彬氏は戦後導入された民主主義
への批判を展開し、自由と権利のみが声高に主張され、その裏にある責任や義務が軽視されてきました
と強調しています(「国家百年の大計として教育を考える」)、ですから、今後、道徳的な「責任や義務」を強調する道徳教育(『心のノート』や奉仕活動等)が強められる可能性があり、小泉構造改革に抗して、痛みを声にし、異議申し立てをする人々を押さえ込むために、国家公認道徳を子どもたちに刷り込んでいく文教政策が今後強化されていくことも確実だといえるのです(2004年10月12日)。