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【特集:11.6全国集会】――――呼びかけ人による論点整理

新自由主義の「教育改革」

発言者:大内裕和

新自由主義は学校現場の「自由」をもたらすものではなく、むしろ一層の管理・統制と差別化を進めるものです。(大内裕和) 「皆さんこんにちは」大内裕和です。今日この場所にこれだけ多くの人々に集まっていただいたことを呼びかけ人の一人としてとても嬉しく思っています。本日の集会を絶対に成功させましょう。どうぞよろしくお願いします。

 今日は新自由主義の「教育改革」ということでお話をさせていただきます。新自由主義とは、個人の自由と責任に基づく競争と市場原理を重視する考えです。これが現在の日本社会全体に急速に浸透しているのですが、1990年代以降、教育の世界にも「ゆとり」と「個性化」という名で導入されていきました。「ゆとり」教育によって公教育の削減が行われ、教育の市場化が一層進むことになりました。これによって出身階層による教育達成の格差は広がり、子どもたちは一層、競争と差別にさらされることとなりました。また教育予算増額抜きの教育改革は、現場教職員の極端な多忙化を促進しました。「ゆとり」教育によって、学校現場の「ゆとり」はむしろ消滅してしまったのです。「個性化」をスローガンとする改革は、子どもたち一人ひとり、それぞれの学校に「個性」を強制し、それを評価するというおぞましい事態をもたらしました。これによって子どもたちは、「関心・意欲・態度」といった人格までもが評価の対象となり、学校は「特色ある学校づくり」を強制されることとなりました。子どもは良い内申点につながる「個性」を要求され、各学校は、校長や教育委員会お好みの「特色づくり」を強いられています。「個性化」によって、教育における「個性」は奪われ、画一化が進行しているのです。

 この新自由主義を一気に進めているのが、東京都の教育行政です。石原都知事と東京都教育委員会は「東京から日本を変える」として、次のような「改革」を進めています。校長の権限を飛躍的に強化し、校長が作成する「学校経営計画」に従って学校を運営することとなりました。また従来、実質上の意思決定機関の場であった職員会議を校長の諮問機関に格下げしました。これによって職員会議での教職員の発言権は著しく低下しました。それから教職員が提出した自己申告書や面接によって人事考課を行い、これによって容易に人事異動が行えるようにしました。また全国に先駆けて一般教員を指導する権限をもつ主幹という新しい中間管理職を設け、校長―教頭―主幹―主任―一般教員という縦型の人事構成をつくりました。そして都立高校の学区を全廃し、一方で統廃合を進めました。普通科は「進学指導重点校」、「中堅校」、「エンカレッジスクール」と階層化・種別化されることとなりました。これによって都立高校の序列化とその固定化が進むこととなります。さらに2003年7月には「教員の定期異動実施要綱」の改正を行いました。これは校長にとって「いてほしい」教員はその学校にいられますが、「気に食わない」教育はすぐにでも追い出されるという内容です。これらによって学校は異論の存在を許さない上位下達の経営体にされようとしているということです。これでは学校は言論の自由のない企業となり、教育はその意味を失ってしまうことでしょう。

 新自由主義は学校現場の「自由」をもたらすものではなく、むしろ一層の管理・統制と差別化を進めるものです。それは、先日の園遊会において「日本中の学校で国旗を掲げ国歌を斉唱させるのが私の仕事であります。」というひどい発言を行った米長邦雄東京都教育委員の思想によくあらわれています。米長教育委員はまた、女性蔑視としかいいようがないセクハラ記事を満載したホームページを公開しています。このことは東京都教育行政の女性差別性を明白に示しています。差別の対象とされているあらゆる女性と女性との対等・平等な関係を望む男性は(私もその一人ですが)、女性差別の教育委員は辞任すべきだ!女性差別の東京都教育行政を変えよう!という声を大きく上げていこうではありませんか。

 こうした新自由主義を推し進める東京都教育委員会が2001年1月にその「教育目標」及び「基本方針」から憲法、教育基本法という文言を削除していることは、新自由主義と教育基本法改悪との関係を明確に示しています。東京都の教育行政は教育基本法改悪のまさに「先取り」であるといえるでしょう。

 2004年6月に出された与党中間報告は、教育における新自由主義を一層推し進めるものです。第3条(教育の機会均等)において「すべて国民は、ひとしく」の「すべて」と「ひとしく」を削除し、「能力に応じた」という面のみが重視されています。さらに「社会的身分、経済的地位又は門地によって教育上差別されない」という部分も削除されています。これでは「教育の機会均等」の規定として十分な役割を果たすものとはとてもいえないでしょう。また第4条(義務教育)においては、今の教育基本法にある「9年の普通教育」の部分が「別に法律に定める期間」と変えられています。これは中央教育審議会答申にあった「就学年齢について、発達状況の個人差に対応した弾力的な制度」の具体化と見ることができます。例えば小学校入学年齢の弾力化によって、できる子は5歳で入学、できない子は6歳でなく7歳で入学、というようにとても早い段階から子どもが「能力」によって振り分けられ、差別化が進むこととなります。また今年9月に河村元文部科学大臣が発表した「河村プラン」では、小中学生の「落第」や「留年」の方向が打ち出されています。学習目標に達さない子どもは学校からリストラするというひどい内容です。またここでは教員の免許更新制も提起されています。「教員の質の向上」という名のもとに、教育行政に従わない教職員を教育現場から排除していくことが狙われているのです。この「河村プラン」は教育基本法改悪と深く結びついた内容であるといえます。さらにこの後、三宅晶子さんが詳しく話される教育基本法第10条(教育行政)の大改悪を含めて、与党中間報告は昨年出された中央教育審議会答申以上に、教育基本法の理念を否定しているといえます。

 与党中間報告が中教審答申以上に反動化したのはなぜでしょうか。私はその一つに、昨年中教審答申が出されたのと同じ3月20日に始まったイラク戦争と自衛隊の戦後初の海外派兵という情勢があると思います。冷戦以後のグローバル経済において支配的位置を占めていくために、アメリカは軍事行動をたびたび行ってきました。小泉政権もその利益構造に入っていくために、全く正当性のないイラク派兵という選択を行ったのです。新自由主義と経済のグローバル化が、派兵国家化を必要としているのです。今後、本格的な派兵国家となることを目指して、国益に積極的に賛同する「国民」をつくり出すこと。そのためには教育基本法を徹底的に改悪し、教育の自由と平等を奪って、人々の平和意識を解体することが狙われているのだと思います。また軍事大国化のために教育や福祉の公的予算をカットしていく必要があります。そこに国内で新自由主義政策が行われていく理由があります。新自由主義が軍事大国化を必要とし、軍事大国化が新自由主義を促進するという関係にあるといえます。その後には日本国憲法第9条の改悪が狙われていることは間違いありません。

 こうした厳しい情勢下で、今年3・4月の東京における卒業式・入学式での「日の丸・君が代」に対して「不起立」を貫いた教職員の運動は特筆すべきことであったと思います。閉塞状況が続く教育現場のなかで、大きな希望を感じさせてくれる素晴らしい出来事でした。彼ら教職員の行動に対して、市民の共感の輪が全国に広がっています。それは彼らの行動が教育の自由や子どもの権利を守る闘いであると同時に、教職員としての存在のあり方、人間としての尊厳をかけたぎりぎりの闘いであったからだと思います。彼らの運動は自衛隊の海外派兵という状況下で、教育現場からの反戦闘争という意義をもつものであり、また労働者に対する攻撃を行っている新自由主義への批判という意味をもつものでもあります。ここで反戦運動と新自由主義批判が結びついているということが重要です。それは日本における労働運動再生の可能性を示しているといえます。この運動は東京に限られるものではありません。それは教育基本法改悪の「先取り」への抵抗運動であり、教育基本法改悪阻止運動そのものであるといえます。本日の集会に参加した私たちは、彼らの闘いの意義をしっかりと捉えて、全力で支援・連帯していくことが求められているのではないでしょうか。

 教育基本法改悪を阻止できるかどうかはいよいよこれからが本番です。私は教育基本法の改悪を阻止したいという声が全国各地で上がり、運動の輪がこの1年間着実に広がってきたことを感じています。皆さん、全国各地で運動の輪を明日からさらに広げていってください。そして来年、教育基本法の改悪を阻止するために再び必ず会いましょう。以上です。